高野小学校 沿革

明治 6年12月 城屋村下地に仮校舎を建て、第3大学区豊岡県管内第25番
中学区第183番小学陽明学校を創立、男児38名が学ぶ。

明治 9年 8月

豊岡県を廃止し、京都府加佐郡第7区陽明小学校と称す。

明治13年 8月

城屋村字キノフに校舎を新築する。

明治20年 7月

中筋尋常小学校が開設されるに伴い、城屋・野村寺の両村からは通学が困難になるため、高野分校が旧陽明小学校に開設される。

明治22年 7月

町村制施行により、城屋・野村寺・高野由里・女布の4か村を以て高野村を創設。よって高野尋常小学校を高野分校に開設する。
男児40
名・女児22名が学ぶ

明治25年11月

新校舎を野村寺小字善寿寺に移転する。城屋の低学年は通学が困難なため一時永福寺を分教場とする。男児70名・女児26名

明治26年 7月

新校舎完成(校地376坪、校舎91.25坪)

明治30年 4月

高野・池内・余内・中筋の4小学の3・4年児童が連合で修学旅行を実施、由良村に一泊する。

明治33年 4月

中部5か村連合修学旅行を実施、3・4年児童福井県高浜村に一泊する。

明治42年 4月

高等科を併置し、高野高等尋常小学校と改称する。

明治42年 5月

5・6年児童と高等科児童、河守に一泊し綾部方面へ修学旅行

明治44年 3月

卒業生と高等科の2年生50名余りが京都・奈良方面へ修学旅行

大正13年 5月

5・6年児童51名2泊3目で伊勢・奈良・京都方面へ修学旅行

昭和 5年12月

校舎増改築完成し、落成式を挙行する。校歌を制定

昭和 8年 7月

本校創立40周年記念式を挙行する。

昭和 9年 1月

校旗制定

昭和11年 8月

舞鶴町に合併 13年 8月 舞鶴市制施行

昭和15年 4月

紀元2600年を記念し学校林を新設、檜苗300本、檪苗1000本植樹
昭和16年 4月 高野国民学校と校名変更
昭和20年 3月 空襲を考慮し児童の登校停止

昭和20年 3月

空襲を考慮し入学式、始業式を延期

 (縁故疎開児童男子73名・女子47名)

昭和22年 4月 新学制により舞鶴市立高野小学校と校名変更
昭和35年11月 校舎改築のため教室移転、6年1・2組は農協2階へ

昭和36年 4月

校舎竣工落成式
昭和46年 8月 青少年愛護協会主催少年野球大会で優勝する。
昭和47年 7月 舞鶴地方に大雨、高野川道路上に増水し、橋梁悉く流失 
昭和56年10月 高野台に新校地の造成完了

昭和57年10月

高野区民運動会を新運動場で開催
昭和59年 3月 新体育館竣工する。

昭和60年 1月

新校舎竣工し移転、4月15日に改築竣工式典を挙行
昭和61年 6月 高野校区青少年育成協議会設立総会

昭和63年 1月

市指定社会科教育研究発表会を開催
平成元年10月 第1回舞鶴市マーチングフェスティバルに出場

平成 2年 1月

府・市指定視聴覚教育研究発表会を開催
平成 4年11月 府・市指定道徳教育研究発表会を開催

平成 6年 7月

学級増により図書室を中庭に増築

平成 8年11月

市指定国語科教育研究発表会を開催
平成10年 4月 京都府社会福祉協議会福祉協力校指定(~12年度)
平成11年10月  府小研保健安全教育部研究協力校として研究大会を開催

平成12年 4月

 障害児学級新設

平成12年 5月

コンピュータ教室整備(児童2人に1台設置・インターネット接続)
平成13年 6月 市指定「総合的な学習の時間」研究発表会を開催
平成17年 3月 校舎増築完了(教室棟増築とドライシステム給食室新築)

平成17年10月

旧給食室を改修し多目的ホールを設置
平成18年 3月

高野地域放課後児童クラブ室設置のため、視聴覚室を図書室兼用とし、図書室を放課後児童クラブ室とすべく改修

平成18年 4月 舞鶴市教育委員会研究実践校の指定を受ける。(平成18・19年度)
平成19年11月 舞鶴市教育委員会研究実践校研究発表会を開催
平成22年 4月 舞鶴市教育委員会研究実践校の指定を受ける。(平成22・23年度)
平成23年 2月
        11月
虫歯予防に向けた「フッ化洗口」開始
舞鶴市教育委員会研究実践校研究発表会を開催